2015年07月08日
与論島 2014 ー4「与論十五夜祭」
はいたい!
みなさん、お元気ですか?
女将は、元気でリハビリ頑張っています
週一の病院のリハビリテージョン科の他に、
7月1日から、会社帰りに「灘浜ガーデンバーデン」というとことに、毎日の様に通って「水中ウォーク」やら、リハビリメニューをストイックにこなしてます。
その甲斐あってか、昨日、商店街のおばちゃんに「あんよが上手になったね〜」って褒められ(からかわれ)ちゃいましたw
でも、全然痩せないんですよね〜
痩せるより先に「筋肉つけろ」って言われてるんですけど、、、。
女子的にはね〜
で、そろそろ、夏休みの予定をたてるころですよね。
去年の話ですが
・・・「与論十五夜祭」のお話をしたいと思います。
因に今年の「与論十五夜祭」は、9月27日(日)。
7〜9月に夏休みをお考えの方、まだ間に合う!ぜひ〜
なお、ここまでのお話はコチラです^^
与論島 2014 ー1「与論島前夜」
与論島 2014 ー2「与論島へ」
与論島 2014 ー3「島巡り 前半」

「与論十五夜祭」
実は、「祭り」が目当てで、この日程を選んだ訳ではく、
たまたま、だったのですが、祭り好きの女将としてはラッキー
「与論十五夜祭」は、年3回、旧暦3,8,10月の十五日に行われ、それぞれ演目が異なります。
400余年の歴史があり、花城世之主が3人の息子たちに、それぞれ、琉球、大島、大和の踊りを調べさせたものが反影されているそうです。
3月は、午後より 相撲、神事、芸能。
さて、夕方4時半に、宿のご主人が祭りの会場まで車で送ってくれました。
会場には「この島のどこにこんなに人がいたんだろう?」と思うくらい大勢が集まっています。

「地主(とこぬし)神社」と書かれた鳥居をくぐると、真ん中に相撲の土俵、左手に一番座、奥に二番座が、それらを囲む様に客席があります。
だいたいこんな感じのレイアウトです。

へっぽこスケッチw
到着するや否や、先ほどの伯父さまに「こちっへおいで」と声がけされて円座に混ぜて頂きました。
私だけでなく、外国からの旅行者も混ぜてもらいました。
どうやら、校長先生や郵便局長さんやら島の偉い方々の円座だったらしく少し恐縮しましたが、お酒とお料理を振るまっていただいて、いろいろとお話を伺う事もできました。
ハブがいないから、みんな道で寝ちゃうとか〜
川がないから、雨水と湧き水で暮らしてるとか〜
でも、川がない島って本当に海が綺麗とか。
春は、新任の方々が赴任の挨拶をされる時期でもあります。
新しい校長先生や役所の方は皆、「沖縄」からではなく「鹿児島」からいらしていました。
行政区はあくまで「鹿児島県」なんですね〜
エンドウ豆が特産品なのでしょううか?
エンドウ豆の煮物は珍しく、美味しかったです

酒は「有泉(ゆうせん)」
でて来る、でて来る、一升瓶が泉の様に湧いて来ます。

祭りの演目は一番組と二番組の2組にわかれて催されます。
「一番組」
室町時代の狂言等から取材し、 踊り方は本土風。というか、薩摩の薫りがします。
白装束に黒足袋、演目によって面を付け替えたり、扮装等が変化します。
一番組で、おじぃにお酒を頂いちゃいました♪

一番組の控え



この人は、口減らしの為に我が子を土に埋める若い母親役ですが、おっちゃんでしたw

いい感じの「おじぃ」
「二番組」
与論島をはじめ奄美諸島や琉球諸島、琉球風の舞踊を取り入れています。
シュパという頭巾をかぶり顔面を覆います。 そのシュパの刺繍は、沖縄の「花織り」の柄に似ていると思いましたが、踊り手の方が言うには、「これを作れる人がいないから大切に使っている」ということです。服装は全体的に黒に近い紺染めの衣装で、帯は幅広、後ろにティサージ(手拭い)を下げます。



気がつけば、月が姿を現わしています。

最後は「カチャーシ」のように、土俵を囲んで、島民や赴任している人、旅の人、みなが輪になって踊ります。
まるで、ずっとずっと前から、ずっとずっと続く様に。
城の敷地内には、双子のような建物があって、双組の控え室となっています。


掛け軸には「嶋中安穏」とあります。
この言葉は島の願いを現している、と思いました。
帰り道は歩いて帰りました。


途中で気になる物を見つけました。「磯式里墓」とあります。
首里城で尚真王の次男として生まれた、与論初代島主の墓だと書いてあります。
暗くて怖かったので、また明日に。
月がとっても綺麗でした。

つづく
みなさん、お元気ですか?
女将は、元気でリハビリ頑張っています

週一の病院のリハビリテージョン科の他に、
7月1日から、会社帰りに「灘浜ガーデンバーデン」というとことに、毎日の様に通って「水中ウォーク」やら、リハビリメニューをストイックにこなしてます。
その甲斐あってか、昨日、商店街のおばちゃんに「あんよが上手になったね〜」って褒められ(からかわれ)ちゃいましたw
でも、全然痩せないんですよね〜

痩せるより先に「筋肉つけろ」って言われてるんですけど、、、。
女子的にはね〜

で、そろそろ、夏休みの予定をたてるころですよね。
去年の話ですが

因に今年の「与論十五夜祭」は、9月27日(日)。
7〜9月に夏休みをお考えの方、まだ間に合う!ぜひ〜
なお、ここまでのお話はコチラです^^
与論島 2014 ー1「与論島前夜」
与論島 2014 ー2「与論島へ」
与論島 2014 ー3「島巡り 前半」





「与論十五夜祭」
実は、「祭り」が目当てで、この日程を選んだ訳ではく、
たまたま、だったのですが、祭り好きの女将としてはラッキー

「与論十五夜祭」は、年3回、旧暦3,8,10月の十五日に行われ、それぞれ演目が異なります。
400余年の歴史があり、花城世之主が3人の息子たちに、それぞれ、琉球、大島、大和の踊りを調べさせたものが反影されているそうです。
3月は、午後より 相撲、神事、芸能。
さて、夕方4時半に、宿のご主人が祭りの会場まで車で送ってくれました。
会場には「この島のどこにこんなに人がいたんだろう?」と思うくらい大勢が集まっています。

「地主(とこぬし)神社」と書かれた鳥居をくぐると、真ん中に相撲の土俵、左手に一番座、奥に二番座が、それらを囲む様に客席があります。
だいたいこんな感じのレイアウトです。

へっぽこスケッチw
到着するや否や、先ほどの伯父さまに「こちっへおいで」と声がけされて円座に混ぜて頂きました。
私だけでなく、外国からの旅行者も混ぜてもらいました。
どうやら、校長先生や郵便局長さんやら島の偉い方々の円座だったらしく少し恐縮しましたが、お酒とお料理を振るまっていただいて、いろいろとお話を伺う事もできました。
ハブがいないから、みんな道で寝ちゃうとか〜
川がないから、雨水と湧き水で暮らしてるとか〜
でも、川がない島って本当に海が綺麗とか。
春は、新任の方々が赴任の挨拶をされる時期でもあります。
新しい校長先生や役所の方は皆、「沖縄」からではなく「鹿児島」からいらしていました。
行政区はあくまで「鹿児島県」なんですね〜
エンドウ豆が特産品なのでしょううか?
エンドウ豆の煮物は珍しく、美味しかったです


酒は「有泉(ゆうせん)」
でて来る、でて来る、一升瓶が泉の様に湧いて来ます。

祭りの演目は一番組と二番組の2組にわかれて催されます。
「一番組」
室町時代の狂言等から取材し、 踊り方は本土風。というか、薩摩の薫りがします。
白装束に黒足袋、演目によって面を付け替えたり、扮装等が変化します。
一番組で、おじぃにお酒を頂いちゃいました♪

一番組の控え



この人は、口減らしの為に我が子を土に埋める若い母親役ですが、おっちゃんでしたw

いい感じの「おじぃ」
「二番組」
与論島をはじめ奄美諸島や琉球諸島、琉球風の舞踊を取り入れています。
シュパという頭巾をかぶり顔面を覆います。 そのシュパの刺繍は、沖縄の「花織り」の柄に似ていると思いましたが、踊り手の方が言うには、「これを作れる人がいないから大切に使っている」ということです。服装は全体的に黒に近い紺染めの衣装で、帯は幅広、後ろにティサージ(手拭い)を下げます。



気がつけば、月が姿を現わしています。

最後は「カチャーシ」のように、土俵を囲んで、島民や赴任している人、旅の人、みなが輪になって踊ります。
まるで、ずっとずっと前から、ずっとずっと続く様に。
城の敷地内には、双子のような建物があって、双組の控え室となっています。


掛け軸には「嶋中安穏」とあります。
この言葉は島の願いを現している、と思いました。
帰り道は歩いて帰りました。


途中で気になる物を見つけました。「磯式里墓」とあります。
首里城で尚真王の次男として生まれた、与論初代島主の墓だと書いてあります。
暗くて怖かったので、また明日に。
月がとっても綺麗でした。

つづく
Posted by kayuibuni at 15:41│Comments(0)
│南島訪問